【墓前礼拝式 プログラム】
前   奏   326番(讃美歌21
讃 美 歌   327(讃美歌21
祈   祷

交   読(讃美と祈願)
聖   書 ヘブライ人への手紙12章1〜3節 説   教「主キリストの証人として」
祈   祷
讃 美 歌   489番(T編)
祝    祷
後   奏    89番(讃美歌21
 
  
 
●イースター記念礼拝式
 2018年4月1日(日)午前10後半

キリストの復活を記念し、共に喜と感謝の礼拝をささげました。この日、聖餐式も執り行われました。

この日の教会学校では卵さがしなどの楽しいゲームを行いました。
礼拝に出席された方々には、イースターエッグのプレゼントもありました。
●消灯礼拝式(テネブレ
 2018年3月30日(金)午後7時
「テネブレ」はラテン語で「暗闇」という意味です。キャンドルを消灯していく暗闇の礼拝式は、四世紀から教会で行なわれてきました。もともと修道院で始められたこの消灯礼拝式は、受難週の中で行なわれる礼拝式として大切に受け継がれてきました。世界中のクリスチャンが何世紀にもわたって行なってきた礼拝式に私たちもあずかりました。
消灯礼拝式は暗闇を覚える時です。十字架を包み込んだ闇、キリストが味わわれた闇に思いを馳せます。キャンドルが消され、礼拝堂の暗闇が増していく中で、私たちは自分の罪の暗さを覚えます。また神の子であるイエス・キリストが身代わりとなって罰を受けなければならなかったほどに、自分の罪が重いものであることを覚えます。この罪がキリストを十字架へと至らしめたのです。
聖餐卓にかかっている黒い布は、罪がこの世界にもたらした闇と死を象徴しています。それはキリストの死をあらわすだけでなく、罪の重荷を抱え、死の力に支配されているこの世界を象徴しています。いばらの冠はキリストが私たちのために受けた傷、また十字架で味わわれた痛みと苦しみをあらわします。
消灯礼拝式では、キリストが十字架にかかるまでの最後の三日間を記したマタイ福音書から、七つの箇所を読んでいきます。一箇所読むごとにキャンドルが一本ずつ消されます。礼拝堂の明かりも同時に少しずつ消されていきます。そして毎回讃美歌による黙想のときがもたれます。礼拝堂が暗闇に包まれる中で、私たちはキリストの死を覚えます。七本目のキャンドルが消された後、キリストを象徴する白いキャンドルは礼拝堂の外へと持ち出されます。それはキリストの死と埋葬を意味します。最後の讃美歌を歌い終わった後、静かに礼拝堂を退出します。 ●讃美礼拝
 
2018年3月11日(日)午前10時半

  青年たちによる讃美グループが讃美を
  リードしました。
  讃美歌やワーシップソング、信徒による
  証しもあり、力強い賛美が献げられまし
  た。 
   
 

    
 




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 漆崎英之牧師
1956年、福井県に生まれる。
1989年、神戸改革派神学校を卒業後、金沢教会の牧師として就職。
日本キリスト改革派の大会「宣教と 社会問題に関する委員会」の委員。 中部中会「世と教会に関する委員会」委員長。趣味は動物と遊ぶこと、エンジン・フォークリフトで除雪すること。

 
私の生まれた家庭は、浄土真宗の家庭で、キリスト教とは関わりのない家庭でした。
青年時代、私にとって最も大きな心の問題は、愛の問題でした。私の心は、何をもってしても抑えることができないほど激しく愛に飢え渇いていました。本物の愛、愛の本質を知りたいと渇望していました。
そうした中で、私は一人のクリスチャンの方と出会いました。そしてその方の導きで教会に通うようになりました。
はじめての礼拝で経験した賛美歌の透き通るようなきよい響きは感動的でした。しかし、自分の内側は、神はいる、いないの葛藤の連続でした。
その頃、読んだ一冊に、マーチン・ルーサー・キング牧師の書いた「自由への大いなる歩み」という本がありました。そのときはまだ聖書の愛の本質について知ってはいませんでしたが、ここにはキリスト教の愛の本質があるという深い確信を抱くことができました。教会に通い続ける中で、生ける神は、聖書において約束しておられる真実の愛をお与えくださいました。もう40年ほど前のことでありますが、イエス・キリストにおいて注いでくださった神のこの愛は、今も変わることがありません。傷つき傷つけながら生きている私たちの心を健全に包み、いやすことができるこの真実な愛を、皆様にも知っていただきたいと願っています。